住吉都 自室で死去!相当悩んでいた?ついこの間までレースに出ていたのに・・・

残念なニュースが入ってきました。ソチオリンピックにスピードスケート女子代表として出場していた住吉都(すみよしみやこ)さんが、1月20日に長野県の自宅で亡くなっていたことがわかりました。享年30歳という若さで、昨年というか先月12月の平壌五輪選考会に出場していたことから突然の訃報に衝撃が走っています。一体何があったのでしょうか。
住吉都さんのブログを見てみると、心理カウンセラーの心屋仁之助さんを心の支えにしていたことがわかってきました。

吉住都 自室で死去していた


住吉都(すみよし・みやこ)さんプロフィール
・生年月日 : 1987年3月19日(享年30歳)
・出身地  : 北海道釧路市
・身長   : 162cm
・体重   : 60キロ
・大学   : 信州大学 (小平奈緒選手と同級生)
・所属   : ローソン
・五輪経験 : ソチオリンピック 女子スピードスケート短距離出場

小学1年生の時、お姉さんがやっていたスケートに影響を受けて始める。釧路北陽高校時代にはインターハイに出場し、1500mで8位の成績を残した。

スピードスケート女子短距離で2014年ソチ冬季五輪代表だった住吉都(すみよし・みやこ)さんが20日、長野市の自宅で亡くなっていたと23日、所属先のローソンが明らかにした。30歳だった。死因などは公表していない。通夜、葬儀は遺族の希望により非公表。 《引用元;毎日新聞》

通夜、葬儀は遺族の希望により公表されないということから、訳ありな状況が伝わってきます。
30歳の年齢的にも平壌五輪選考会に全身全霊をかけて臨んでいたことが思い浮かびます。
選考から漏れてしまい、絶望してしまったのでしょうか。

『ラストチャンスだから』といってライバルを蹴落として東京五輪を目指そうとしていたカヌーの鈴木選手のことが頭をよぎりました。。

相当悩んでいたことが明らかに。30歳の若さでまさか・・・?
先月、平壌五輪の選考会に出ていたばかりだったので、ネットは騒然となっています。

「嘘やろ!? ついこの間までレースに出てたやん…」
  「えっ!? なんで??? 衝撃やねんけど。」
  「ソチ五輪代表って、まだ4年経ってないのに…」
  「住吉都さんが亡くなったと聞いて….ただただ言葉もない。1回か2回話したことあるかないかくらいだけど、やっぱり同じスポーツやってて同じ大学入った身としては悲しい」
  「ご冥福をお祈りします ひっそり応援してた選手です。悲しい」 《引用元;J-CASTニュース》

・先輩の話では結構悩んでたらしいし。。。

信州大学で同級生だった小平奈緒選手、今最も金メダルに近い選手として注目されていますので、そんな小平選手と自分の状況を比べてしまうことがあったのかもしれません。

憶測でしかありませんが、小学1年生のころ始めたというスケートでオリンピック出場まで上り詰めてきた住吉選手が次の平壌五輪出場を逃した時、次は何に向かって頑張ればよいのだろうか?と悩んでしまったのではないでしょうか。

結婚されていたという情報はありませんので、支えてくれる家族がいたら、また状況は変わっていたかもしれません。

心屋仁之助さんの信者だった??
気になるツイートがありました。

住吉都さんのブログを見てみると、確かに心の葛藤が綴られていました。

住吉都さんのブログ ⇒  自分を生きる。自分を愛する。

特に、精神的に不安定なのかな?と思わせる投稿が2017年11月9日の「感情 かきなぐり 自分用」というタイトル。

黒い、汚い、情けない。
精神に異常をきたしている。
通常じゃない、普通じゃない、
ヤバい奴。

社会に馴染めない。

社会からはじかれる。

社会に、染まれない。

どうしようもない人間。

夢を見て、ふわふわ
現実を歩けないヤバい奴。

どんどん苦しんで
ひたすら苦しんで
奈落の底に落ちていくしかないのかもしれない。

本当は優しくして欲しかった。

本当は丁寧に扱って欲しかった。

本当は真摯に向き合って欲しかった。

本当は、わたしはポンコツで
穴ぼこだらけ。

でも、周りはできるよ、っていう。
がんばれっていう。

応援が苦しい。
期待に、応えたくない。

もうウンザリだ。

無神経だ。
みんな、無神経だ。

本当は、わたしは傷ついていた。

本当は、とても痛かった。

出来ない自分が情けなかった。

がっかりしても
がっかりしても
また自分に期待して

でもそこから逃げて
苦しかった。

《引用元:自分を生きる。自分を愛する。》

何だか、読んでいて息が詰まる想いです。
この投稿をした翌月に住吉さんは平壌五輪選考会に出場して、五輪への切符を逃してしまいました。

周囲からの期待、応援、全てがプレッシャーだったのかもしれませんね。。。

心屋仁之助さんのことは、ワークショップに参加したりと心の支えにしていたようです。

心理カウンセラーとして、『ナイナイアンサー』などにも出演し芸能人の悩み相談にも乗ってきた心屋仁之助さん。

私もブログを読むことがありますが洗脳だとか宗教という類の怪しさは感じたことがありません(笑)
そして、そのワークショップを受けたことがある程ファンだった住吉さんは自分の思考の傾向や上手くいかない人生を変えたくて心屋仁之助さんに学んだはずです。

残念な結果になってしまいましたが、住吉さんは現状打破したかった、そのために努力した、しかし上手くいかなかった。
全ては住吉さん個人の問題であって、心屋さんの影響ではないと感じています。

所属していたローソンが声明を出しました
今回、住吉さんの訃報を発表したローソンが声明文を出しています。

スピードスケート選手 住吉都さんの突然の訃報に接し、大変驚いています。住吉さんは、
2013年6月にJOCの企業とトップアスリートを繋ぐアスナビ就職支援を通じてローソンに入社しました。とても明るい性格で皆に愛されていました。そして、練習熱心で、高い目標を持ちあきらめずにやりぬく事を大切にしていました。ソチオリンピックの選考競技会では、多くの社員が横断幕を作って応援。晴れて、500mと1000mの日本代表となりました。2014年のソチオリンピック出場では、全社員が多くの感動をもらいました。

長野支店の社員バーベキュー大会に参加してくれたこともあります。全社朝礼でのあいさつや従業員向けのストレッチ体操の動画に出演、新入社員向け講演など、社員を元気づけてくれました。先月のオリンピック選考競技会にも多くの社員が応援。住吉さんの真摯に練習に励み、競技に向かう姿は、社員みんなのエネルギーになりました。

これからもずっとローソンを元気にしてもらう存在であって欲しいと願っていたので、大変残念でなりません。長年に渡る活動と活躍に感謝しています。本当にありがとうございました。ローソンは決して住吉さんを忘れません。
心よりご冥福をお祈り致します。

株式会社ローソン

《引用元;LOWSON声明文》

所属会社の皆にも愛されていた住吉さん。先月の選考会にも応援に駆けつけてくれていた社員がいたようですね。
皆に注目されていたことが、逆にプレッシャーだったのでしょうか。

もしスケート選手として継続していくことが難しかったとしても、ローソンの社員として仕事に精を出す選択肢もあったハズです。
私の友人にもスポーツ推薦で社会人になり、引退後は仕事バリバリやっている方もいます。気持ちの切り替えが難しかったのかもしれません。

信州大学の同級生・小平奈緒さんも悲痛

信州大で同級生だった平昌五輪代表の小平奈緒(相沢病院)が24日、報道陣の取材に応じ「大学の4年間、一番近くで一緒にやってきた仲間がこういうことになり、まだ信じられない思いはある」と声を詰まらせた。

 1月初めに食事を共にした時は「前向きで、何か私からスケートを学ぼうと必死だった。にこにこ話を聞いてくれていた」そうで、特に変化は感じられなかったと振り返った。23日には住吉の家族の許しを得て最後の別れをしたという。「住吉の分の人生は生きられないけど、苦しい時に心の支えになってほしいし、まずは平昌で自分の力を発揮したい」と涙を拭った。 《引用元;毎日新聞》

1月初めには一緒にご飯を食べていて話をした、何の異変もなかったのが最期だったとは、喪失感が果てしないですね。
4年間も苦楽を共にしてきた仲間の死、とても辛いことだと思いますが何とか気持ちを切り替えて競技に臨んでいただきたいですね。住吉さんも応援してくれていると信じたいです。

金メダリスト小平奈緒選手が獲得後の会見で言及
2月18日に平壌五輪で女子スピードスケート500mで36秒94というオリンピックレコードを出して金メダルを獲得した小平奈緒選手が住吉さんの死について言及しました。

「彼女のことは何度も何度も思い出すことが多くて、やっぱり忘れられない」と声を詰まらせた。

 小平は「奈緒が金メダルを取ったら、私が金メダルを取ったのと同じ」と住吉さんが生前に話していたと、関係者から伝えられたことも打ち明けた。「金メダルを取ることができて、今、本当は本人の目の前で金メダルとったよと報告したかったけれども、それができないのは本当に残念だ」と涙ぐんだ。  《引用元:読売オンライン》

信州大学で同学年、4年間切磋琢磨してきた仲間として特別な想いがあったことでしょう。
天国で住吉さんが見守ってくれていたと思いたいです。